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最終更新日:2019年11月1日
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五色塚(千壷)古墳
五色塚古墳(ごしきづかこふん)は、兵庫県(ひょうごけん)の中(なか)で一番大(いちばんおお)きい前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。
前方後円墳とは、前(まえ)が四角(しかく)で、後(うし)ろがまるい形(かたち)をした、古(ふる)いお墓(はか)のことです。
五色塚古墳は、全体(ぜんたい)の長(なが)さが194メートルで、高(たか)さは18.8メートルあります。
4世紀後半頃(せいきこうはんごろ)に造(つく)られたと考えられています。
しかし、誰(だれ)のお墓なのか、どのようにして作られたものかは、はっきりと分(わ)かっていません。
古墳の表面(ひょうめん)には、にぎりこぶしから人(ひと)の頭(あたま)くらいの大きさの石(いし)が223万個(まんこ)しきつめられ、周囲(しゅうい)には、筒型(つつがた)のはにわが2200本立(ほんた)っていたと考(かんが)えられています。
五色塚古墳は千壷古墳(せんつぼこふん)ともいわれています。
1965年(昭和(しょうわ)40年)頃までは、この古墳のあたりは、畑(はたけ)が作られるなどして、荒(あ)れていました。
そこから約(やく)10年をかけて整備(せいび)され、1975年(昭和50年)8月には復元(ふくげん)のための工事(こうじ)が完成(かんせい)しました。現在(げんざい)では、古墳は造られた当時(とうじ)に近(ちか)い姿(すがた)を取(と)り戻(もど)しています。
【連絡先】
〒655-0035 垂水区五色山4-1
TEL 078-707-3131
FAX 078-707-3131
上空から見た五色塚古墳
五色塚古墳CG
五色塚古墳後円部
五色塚古墳後円部墳頂から前方部
前方部西から後円部
前方部の復元した埴輪列
前方部と明石海峡大橋
処女塚古墳(おとめづかこふん)は、3世紀後半(こうはん)につくられたと考えられる、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)です。阪神電鉄(はんしんでんてつ)石屋川駅(いしやがわえき)からすぐのところにあります。
1979年(昭和54年)から復元(ふくげん)のための工事(こうじ)が行(おこな)われ、1985年(昭和60年)に史跡公園(しせきこうえん)として完成しました。
この古墳は菟原処女(うばらおとめ)という人の墓(はか)という伝説があります。
この地(ち)に住(す)んでいた美(うつく)しい菟原処女は、同時(どうじ)に2人の若者(わかもの)から結婚(けっこん)を申(もう)し込(こ)まれます。
そのことに心(こころ)をいためた菟原処女は、ついに自(みずか)ら命(いのち)を絶(た)ってしまいます。菟原処女に恋(こい)をしていた2人りの若者も、菟原処女の後(あと)を追(お)い、自ら命を絶ちました。
それをかわいそうに思(おも)った人たちが、この出来事(できごと)を後(のち)の世(よ)まで語(かた)り伝(つた)えるために、3人の墓をつくりました。
この伝説(でんせつ)は、奈良時代(ならじだい)にはあったようです。
処女塚を真中(まんなか)にして、東西(とうざい)それぞれ約(やく)2キロメートルの所(ところ)に、2つの古墳もつくられています。
阪神電鉄住吉駅(すみよしえき)からすぐの所にあるのが東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)。
阪神電鉄西灘駅(にしなだえき)の所にあるのが西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)です。
西求女塚古墳は、2005年(平成(へいせい)17年)に、国(くに)の史跡(しせき)に指定(してい)されました。
処女塚の伝説(でんせつ)は、人々(ひとびと)がいろいろなことを結(むす)びつけて想像(そうぞう)し生(う)まれてきたものと思われ、実際(じっさい)は、これらの古墳はこの地方(ちほう)に住(す)んでいた有力者(ゆうりょくしゃ)の墓と考(かんが)えられています。
処女塚古墳 空から
処女塚古墳 大正頃の姿
処女塚古墳 小山田高家の碑(右)
地震によって崩れた石室