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BE KOBE神戸の近現代史

阪神・淡路大震災 (詳細)

1.地震の概要

阪神・淡路大震災は、平成7年(1995)1月17日(火曜日)5時46分に発生した兵庫県南部地震による災害である。震源は淡路島北部(北緯34度36分、東経135度02分、深さ約16キロメートル)、規模はマグニチュード7.3。この地震により、神戸と洲本で震度6を観測したほか、東北地方南部から九州にかけての広い範囲で有感となった。

なお、当時の地震計は最大震度6までしか計測できなかったため、それ以上については気象庁の現地調査により決定された。調査の結果、神戸市や淡路島北部等の一部地域では、家屋の倒壊が30パーセント以上に及ぶという震度7が適用された。戦後初めての大都市直下型地震であり、その後に長く続いた余震も含め、未曾有の被害をもたらした。

2.被害の状況

(1)被害の特徴(概況)

この地震は、以下のような被害をもたらした。

  1. 大都市を直撃した地震のため、電気、上・下水道、ガス、電話などの被害が広範囲になるとともに、道路や鉄道が途絶するなどライフラインに壊滅的な打撃を与えた。
  2. 古い木造住宅の密集した地域において、地震による広範囲な倒壊や火災が発生し、兵庫区、長田区などでは火災が同時多発した。
  3. 設計上、想定していた地震規模をはるかに上回る揺れのため、大規模構造物にも甚大な被害が発生した。
  4. 市役所(当時の2号館)や病院、消防署等の公共施設が被害を受けたほか、市場、商店街、工場、事務所等の倒壊・焼失により、経済基盤に大きな影響を与えた。

20世紀の地震災害としては関東大震災に次ぐものとなった。

阪神・淡路大震災の被害の概要
死者
6,434人
負傷者
43,792人
全壊棟数
104,906棟
半壊棟数
144,274棟

上記の直接的被害にとどまらず、避難所生活の長期化、それに伴う精神的疲労や子ども・高齢者、障碍者等への心理的影響、学校等教育機能の低下、ライフラインの復旧の遅れ・交通渋滞などによる不便な生活の長期化や都市機能の低下、雇用の不安定化など市民の生活に対する震災の影響は様々な面に現れた。

また、産業面においても、企業の市外への移転や被災による生産量の低下、港湾施設の被害に伴うコンテナ貨物の他港へのシフト、高速道路の寸断や復旧工事による交通容量の不足等により、神戸のみならず日本経済へ深刻な影響を及ぼした。

(2)人的被害の特徴

まず人的被害の特徴からみていく。

地震による死者の総数は6,434名、そのうち神戸市内の死亡者は4,571名(自殺者7名を含む)で、全体の71パーセントを占めている。死亡者のうち60歳以上が占める割合は59パーセントで、高齢者が地震発生の際、犠牲者になるケースが多かったことが示されている。

死亡原因は家屋倒壊による「圧死・窒息死」が大半を占めている。強い揺れによって建物が瞬時に倒壊し、その下敷きになったりして死亡した人が多いことがわかる。

次に多い死亡原因は「焼死・焼骨」である。震災後発生した火災によって、逃げ遅れたり、倒壊した建物の中に閉じ込められ、迫ってくる火勢に飲み込まれて焼死した人が4.6パーセント、さらに焼骨のみで発見された人が7.6パーセントあった。また、「焼死・焼骨」で亡くなった人の約半数が長田区である。長田区の焼失棟数と焼失延床面積が共に群を抜いて多く、死因に直結しているといえる。長田区の大火の特徴としては、地場産業であるゴム工場が密集し、内部にはゴム類と危険物が多かったことや、大規模で古い商店街の存在が挙げられる。

死亡者を区別にみると、東灘区で1,470名の命が奪われ、全区で最大の死亡者を出しており、ついで、灘区で934名の死者が出ており、この東部2区で死亡者全体の半分以上を占め、(52.6パーセント)市東部が激震に襲われたことが分る。この両区では、倒壊家屋が多数に上り、その下敷きになったり、家屋は倒壊を免れたが倒れてきた家具により圧死するケースが多くみられた。

兵庫区・長田区は、地震後に広範な地域で火災が発生し、焼死者が多く、両区で1,744名の命が奪われている。JR新長田駅周辺では、直後に火災が集中発生し、逃げられずに700名余りが焼死している。

須磨・垂水・西・北の4区は須磨の399名を除いて、比較的被害が軽微で、この地震が、市内東部に大きな被害をもたらし、西部に行くにしたがって、被害が比較的軽くなっていることが判明する。

(3)物的被害の特徴

次に物的被害の状況を見ていく。

まず神戸市全体で全壊家屋は6万7,400戸余りに上っている。全区のうち最も全壊家屋が多かったのは、長田区で1万5,500戸余り、ついで東灘区が1万3,600戸、灘区の1万2,700戸で、この3区で全体の62パーセントを占め、人的被害同様、市東部を中心とした地域の家屋被害が大きかったことがわかる。

地震直後から、各地で火災が発生したが、特に長田区と兵庫区では、同時多発的に火災が発生し、両区で全焼家屋が5,700戸に及び、市内全体の全焼家屋の82パーセントを占めている。この両区では、倒壊は免れたものの、火災によって焼失した家屋も多数に上ったことと思われ、地震そのものと、その後の火災によって、被害が一層大きくなったことが分る。

住宅被害については、滅失住宅(平成7年1月1日には存在したが、平成8年1月1日にはなくなっている住宅)の観点から分析する。

神戸市全体で滅失住宅は7万9千戸余りで、全戸数の15パーセントに及んでいる。特に滅失住宅が多かったのは、長田区で、2万3千戸で区総家屋数の39パーセント強、3戸に1戸が地震後1年以内に滅失している。東灘区では25パーセント弱、灘区で23パーセント強、この両区でも4戸に1戸が滅失している。

滅失住宅の地勢的な分布状況をみると、住戸の残存率が70パーセントを下回る地域が、東灘、灘、兵庫、長田、須磨の平野部に広く分布しており、被害が比較的軽度であった残存率90%以上の地域は、各区の山麓部に偏っている。平野部の住宅密集地域では、震度の大きさに加えて、火災による類焼と、隣接する家屋の相互影響による倒半壊など、後に滅失戸数を増加させる要因が強く働いたものと考えられる。

(4)ライフラインの被害

阪神淡路大震災では、道路・鉄道・上下水道・電力・ガス・通信などのライフラインも大きな被害を受けた。

阪神高速道路(神戸線)では東灘区で高架道路が600メートルにわたって倒壊し、全線で路面の亀裂や盛り上がり、高架橋の落橋、盛土の崩壊、崖崩れなどがみられ、湾岸線や北神戸線とも全線不通となった。

鉄道では、JR新長田駅付近の盛土の崩壊、JR六甲道駅付近の高架橋の倒壊、JR住吉~本山駅間の盛土の崩壊、阪神電鉄御影~西灘駅間の高架橋の倒壊など、また電柱や信号機の故障などが至る所で生じ、新幹線(京都~姫路)、JR神戸線(尼崎~西明石)、阪神電鉄(甲子園~元町)、阪急電鉄(西宮北口~三宮)、神戸電鉄全線、山陽電鉄(西代~明石)、市営地下鉄(板宿~新神戸)、神戸新交通全線などが不通になった。鉄道の不通区間は、当初総計640キロメートルに及んだが、2日後には約半分が復旧した。

神戸市の水道施設にも大きな被害があった。7浄水場のうち2か所が被害を受け、配水管の破損は1,700か所を超えた。各家庭への給水管の被害は9万か所近くにのぼり、5週間にわたって断水した地域もあり、給水車による市民への給水が各地でみられた。

下水道も処理場、ポンプ場に機能の障害が生じた。最も大きな被害を受けたのは東灘下水処理場で、隣接する運河護岸の崩壊と地盤の液状化・側方流動により処理機能が完全に停止した。

電力については、地震発生時には明石市から京都府南部にかけての約260万戸で停電したが、被災設備を系統から分離し、被災していない設備から順次切り替え送電をおこない、約2時間後に停電戸数は100万戸に減少した。

ガスは、末端の導管や家庭への引き込み管が多数破損し、ガス漏れも発生したので二次災害を防ぐため、阪神間の被災地を中心に約86万戸の供給が停止され、多くの家庭で支障が生じた。

通信施設に関しては、コンクリート柱の倒壊や傾斜等による架線の切断やマンホールや地下ケーブルの通路の液状化による被害が発生した。また、電話回線の急激な利用増大による「輻輳」が生じ、各戸からの電話がかかりにくくなり、公衆電話に人々が殺到する光景がみられた。

(5)産業の被害

川崎製鉄・神戸製鋼などの鉄鋼業、川崎重工・三菱重工などの造船業はいずれもその本社などの中枢建物が倒壊したり、工場も生産設備に大きな被害があり生産ラインがストップした。

住友ゴム本社工場では煙突が倒壊し、操業が不可能になったが、生産設備の被害は軽微で、設備を市外の他工場に移して生産を継続した。バンドー化学、三ツ星ベルトなども被災したが、生産拠点を他地方に移すなどして生産の停滞を防いだ。

ケミカルシューズについては、長田区・須磨区を中心に発展してきたが、震災後の火災の発生で大きな損害を受けた。メーカーや下請け企業を含めて長田区南部のほぼ2平方キロメートルの地域に約1,600社が集中し、さらに可燃性の高い原材料が保管されていたことから、ケミカルシューズ産業の約80パーセントが、全半壊または全半焼の被害にあった。

清酒業は神戸市東部の臨海部を中心に江戸時代中期以来発展してきたが、灘五郷酒造組合に加盟している50社すべてが、製造工場、瓶詰め工場、倉庫、資料館などに被害を受けた。

貿易業は第48回(平成7年)「貿易実態調査」によれば、214社のうち、被害がまったくなかったのは2社にすぎず、社屋等の損傷等の直接的な被害に加えて、港湾被害や商品輸送の停滞などによる間接被害を受けた。

小売業では、市内商店街店舗の33.2パーセント、小売市場店舗の45.4パーセントが全壊・全焼の被害にあっている。百貨店では、そごう神戸店(現在の神戸阪急)の本館部分、大丸神戸店の一部建物が損壊した。スーパーマーケットではダイエーの市内26店舗中12店が営業不能となり、その他のスーパーマーケットも大きな被害を受けた。コープこうべでは、本部ビルが倒壊、12施設が全壊、6施設が半壊するなど被害が大きかった。

この震災が経済基盤に与えた直接・間接の被害は膨大なものになり、その後の神戸経済に大きな影響を与えた。

全国からのボランティアや支援を受けながら懸命の復旧作業が続いたが、市民生活をはじめ産業面、環境面など影響を与えた範囲はあまりに広く甚大であった。兵庫県下の直接被害総額は9兆9,268億円という想像を絶する規模とされた。