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こうべキッズ百科:産業(商工業)

最終更新日:2019年11月1日

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阪神工業地帯(はんしんこうぎょうちたい)

阪神工業地帯は、神戸(こうべ)から大阪(おおさか)の南(みなみ)の地域(ちいき)まで広(ひろ)がる、大(おお)きな工業地帯です。
大阪湾(おおさかわん)にそって発達(はったつ)してきました。

機械(きかい)、金属(きんぞく)、化学(かがく)などの重化学工業(じゅうかがくこうぎょう)が盛(さか)んにおこなわれています。
また、灘(なだ)の酒(さけ)のように、むかしからその土地(とち)でおこなわれてきた産業(さんぎょう)が盛んなのも特徴(とくちょう)です。
伊(いたみ)、宝塚(たからづか)から三田(さんだ)にかけての地域では、食料品(しょくりょうひん)、皮(かわ)、木材(もくざい)などの産業も盛んです。

神戸市の工業(こうぎょう)

神戸港(こうべこう)が開港(かいこう)されていらい、神戸では、海外(かいがい)に輸出(ゆしゅつ)するための、マッチ製造(せいぞう)や、繊維(せんい)工業などの軽工業(けいこうぎょう)が発達(はったつ)しました。

とくに、長田区(ながたく)を中心(ちゅうしん)にしたマッチの生産量(せいさんりょう)は、神戸と大阪(おおさか)だけで、全国(ぜんこく)の約(やく)90パーセントをしめるほどでした。

しかし、第1次世界大戦後(だいいちじせかいたいせんご)、マッチ製造(せいぞう)はおとろえて、そのご、1885年(明治(めいじ)18年)に神戸ではじまったゴム工業が、かわって発展(はってん)しました。

また、明治のおわりごろから、政府(せいふ)のあつい保護(ほご)を受(う)けた川崎造船所(かわさきぞうせんじょ)や三菱造船所(みつびしぞうせんじょ)、鈴木商店(すずきしょうてん)から独立(どくりつ)した神戸製鋼所(こうべせいこうしょ)などが操業(そうぎょう)をはじめ、重化学工業(じゅうかがくこうぎょう)の基礎(きそ)をつくりました。

第2次世界大戦(だいにじせかいたいせん)によって、市内(しない)の工場地域(こうぎょうちいき)は大(おお)きな被害(ひがい)をうけましたが、1951年(昭和(しょうわ)26年)ごろから、神戸市は総合的(そうごうてき)な都市計画(としけいかく)をおこない、神戸港を中心にした新(あたら)しい工業地帯(こうぎょうちたい)を発展させてきました。

現在(げんざい)は、これまで利用(りよう)されていなかった場所(ばしょ)に、新しい工業地帯がつくられています。
神戸市西区(にしく)にある西神(せいしん)インダストリアルパークもそのひとつです。
西神インダストリアルパークには、食料品(しょくりょうひん)や機械(きかい)、医薬品(いやくひん)、電子部品(でんしぶひん)などを開発(かいはつ)・製造する会社(かいしゃ)があつまっています。

神戸市全体(ぜんたい)では、食料品を製造する会社がもっとも多(おお)く、一般機械(いっぱんきかい)、輸送用機械(ゆそうようきかい)がつづいています。これらの3つの業種(ぎょうしゅ)は、2017年(平成(へいせい)29年)で、工業全体の5割弱(ごわりじゃく)をしめています。

内陸工業団地(ないりくこうぎょうだんち)の開発(かいはつ)

神戸市は、面積(めんせき)が557平方(へいほう)キロメートルと、ひろい範囲(はんい)にわたっています。ところが、人が住(す)んでいる市街地(しがいち)は、六甲山系(ろっこうさんけい)と海(うみ)にはさまれた細長(ほそなが)い地域(ちいき)にかぎられていました。
神戸市全体(ぜんたい)の10パーセントほどの面積のところに、人口(じんこう)と産業(さんぎょう)のほとんどが集中(しゅうちゅう)していました。

そこで、神戸市では1960年(昭和(しょうわ)35年)代から、これまであまり人がすんでいなかった、臨海部(りんかいぶ)(海(うみ)に近(ちかい)地域)と内陸部(ないりくぶ)に、新(あたら)しい産業団地(さんぎょうだんち)をつくる計画(けいかく)をすすめてきました。
産業団地とは、会社(かいしゃ)や工場(こうじょう)がたくさん集(あつ)まった場所(ばしょ)のことです。

「神戸複合(こうべふくごう)産業団地」は、内陸部にある産業団地のひとつで、西区(にしく)の神戸淡路鳴門自動車道(こうべあわじなるとじどうしゃどう)の神戸西インターチェンジが団地(だんち)のなかにあります。

食料品(しょくりょうひん)や機械(きかい)をつくる会社や、流通・運輸業(りゅうつう・うんゆぎょう)の会社を中心(ちゅうしん)に、約(やく)150社が集まっています。
その中には、1995年(平成(へいせい)7年)の大震災(だいしんさい)で被害(ひがい)をうけた、神戸市内(こうべしない)の中小企業(ちゅうしょうきぎょう)の工場(こうじょう)もたくさんあります。

内陸部の産業団地には他(ほか)に、西神(せいしん)インダストリアルパーク、神戸ハイテクパーク、神戸サイエンスパーク、神戸流通センターがあります。

2018年(平成30年)までに、約650社の企業が、神戸市内の産業団地に集まってきています。

神戸市の地場産業(じばさんぎょう)

地場産業とは、ふるくからの歴史(れきし)や伝統(でんとう)にもとづいて発展(はってん)してきた、その土地(とち)ならではの産業(さんぎょう)のことをいいます。

神戸は、明治時代(めいじじだい)に港(みなと)が開(ひら)かれていらい、港とともに発展してきました。

開港(かいこう)とともに、多(おお)くの外国人(がいこくじん)が、神戸に移(うつ)り住(す)むようになりました。
外国人を通(つう)じて、神戸には色々(いろいろ)な外国(がいこく)の文化(ぶんか)が入(はい)ってきます。
洋菓子(ようがし)や神戸洋家具(こうべようかぐ)、神戸洋服(こうべようふく)などは、外国の文化をうまくとりいれることで発展してきた神戸の地場産業です。

また、港がある神戸は、品物(しなもの)を外国へ輸出(ゆしゅつ)したり、材料(ざいりょう)を輸入するのに便利(べんり)な場所(ばしょ)です。
そのような特徴(とくちょう)をうまく利用(りよう)して、ケミカルシューズや真珠加工(しんじゅかこう)などの産業がうまれています。
いっぽうで、全国的(ぜんこくてきに)に有名(ゆうめい)な灘の酒(なだのさけ)は、神戸のゆたかな自然(しぜん)によって育(はぐく)まれてきました。

このように、神戸の地場産業は、海(うみ)と山(やま)という自然のめぐみの中(なか)、外国との交流(こうりゅう)の中で生まれたものです。
そして、どんどん新(あたら)しいものをとり入(い)れてゆこうとする神戸の人の性格(せいかく)と知恵(ちえ)が、神戸ならではの地場産業を発展させてきました。

灘五郷(なだごごう)

灘五郷1

日本酒(にほんしゅ)の生産地(せいさんち)として有名(ゆうめい)な灘五郷とは、西宮(にしのみや)市内にある「今津(いまづ)郷(ごう)」と「西宮郷」、神戸市内にある「魚崎(うおざき)郷」と「御影(みかげ)郷」と「西(にし)郷」のことをいいます。
それらをまとめて、「灘五郷」とよびます。

灘ということばには、もともと海(うみ)の水(みず)のながれの早(はや)いところという意味(いみ)があるので、灘五郷は、六甲山(ろっこうさん)を背(せ)にし、海が前(まえ)にある酒(さけ)づくりのさかんな地域(ちいき)ということになります。
この灘の酒づくりをしている一帯(いったい)はこれまでいろいろなよび方(かた)をされていて、灘五郷とよばれるようになったのは1886年(明治(めいじ)19年)からです。

灘で酒づくりが始(はじ)まったのは江戸時代(えどじだい)からですが、本格的(ほんかくてき)につくられるようになったのは勝手(かって)づくりがみとめられた1754年(宝暦(ほうれき)4年)からです。

六甲山からふきおろしてくるつめたい風(かぜ)や、山田錦(やまだにしき)という米(こめ)、宮水(みやみず)とよばれている地下水(ちかすい)と、丹波(たんば)から酒づくりのときにだけはたらきにくる杜氏(とうじ)とよばれている職人(しょくにん)がいたことなど、よいじょうけんが重(かさ)なってできた灘の酒は、全国的(ぜんこくてき)に有名(ゆうめい)になりました。

記録(きろく)によると、1785年(天明(てんめい)5年)には、江戸(えど)(いまの東京(とうきょう))に荷上(にあ)げされた酒のなかで灘の酒は40パーセントをこえ、さらに1817年(文化(ぶんか)14年)には50パーセントをこえ、江戸時代のおわりごろには60パーセントをしめていました。

いまでも、神戸の灘五郷でつくられる酒の量(りょう)は全国(ぜんこく)1位(い)となっていて、「日本一の酒どころ」といえます。

阪神・淡路大震災(くら)がくずれおちるなど大きな被害(ひがい)をうけましたが、酒づくりの会社(かいしゃ)それぞれでけんめいの努力(どりょく)をし、復興(ふっこう)しています。

灘五郷2(JPG:35KB)