国際都市として発展してきた神戸には、これまであまり知られることのなかった難民との交流の史実が存在する。
第一に、明治23年(1890)に和歌山県串本沖で座礁したトルコ軍艦エルトゥールル号の遭難事故と、生存者69人の神戸滞在の出来事、第二に、大正9年(1920)にロシア革命により避難した子ども達約800人を、無事に親許まで送り届けた陽明丸とそれに貢献した勝田銀次郎、
第三に、昭和15年(1940)から昭和16年(1941)にかけて、杉原千畝のいわゆる「命のビザ」によりナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ難民が、神戸に滞在した出来事。
これらの出来事の中でも、リトアニア日本領事館領事代理であった杉原千畝については「日本のシンドラー」としてよく知られている。杉原が発給した「命のビザ」を持ったユダヤ難民の多くが神戸のユダヤ協会などを頼って、神戸を目指し、神戸に滞在した。戦時下の厳しい状況の中で、神戸市民との豊かな交流があったことが、多くの記録や証言によって明らかとなっている。
また、当時の神戸におけるユダヤ難民の姿は、手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」でも登場し、妹尾河童の著書「少年H」や野坂昭如の著書「火垂るの墓」などでも描かれている。
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「神戸ユダヤ共同体」(神戸ジューコム)跡地