悠久の昔から先人たちが夢をはぐくんだ遺跡、万葉の悲恋をしのばれる古墳、戦乱の世に命をかけて疾駆する強者どもを見守り続けた城跡、技術の粋を集めたトンネル、今もなお地域の人たちに愛され続けて名物行事の舞台ともなっている塚などなど、ユニークな史跡が数々あります。昔があなたに語りかけるものは…?
赤松城跡
現在の神戸大学の敷地の一部が赤松城跡と言われています。鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)、播磨の豪族赤松円心が大塔宮護良親王の命令を受けて兵を挙げ、鎌倉幕府の京都六波羅探題の軍と戦ったことは「太平記」などに詳しく記されています。明治41年(1908年)5月高羽山中の茶畑の地で赤松城跡が発見されました。居城であった上郡の白旗城からこの地に赴き、円心は南朝のために幕軍と戦いました。
石屋川トンネル
灘区の東端にある石屋川は、水害予防のために、川床の土砂を掘って土堤に積み上げ、高い丈夫な土堤を築造しました。そのため川床が平地よりも高い天井川になってしまいました。明治7年(1874年)、東海道線は平地を走っていましたので、石屋川と東灘区の住吉川と芦屋川は、ともに川床の下にトンネルを造り、鉄道を敷設しました。昭和51年(1976年)11月、鉄道が高架になって、石屋川の上を走るようになり、今は人や車が通っています。
鬼塚(照光寺内)
篠原南町6丁目にある照光寺の中に3m×2mの玄室(遺体を安置する室)を持つ横穴式古墳があります。築造年代は石室から出土した人骨、須恵器、鉄器等の遺物から、古墳時代後期(6世紀)と推定されます。盛り土が取り除かれて、古墳を彷彿させるものは、石組のみとなってしまいました。
桜ケ丘遺跡
昭和39年(1964年)、桜ケ丘町で壁土用の土砂を採取中に大・小14口の銅鐸と7本の銅戈が発見され、昭和45年(1970年)に国宝に指定されました。銅鐸は弥生時代(約1800年~2000年前)につくられた国産の青銅器ですが、複数の銅鐸が出土した例はあまりありません。現在、神戸市立博物館に保存展示されています。
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