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灘百選・神社/仏閣④

最終更新日:2024年11月13日

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船寺神社


古くから瀬戸内海の海上交通の要衝であった当地は、都賀川の河原で治水が不十分なために、仁和4年(888年)京都の石清水八幡宮の分霊を勧請し、東向きに社殿を建て、海上安全などさまざまな災い除けを祈願したといいます。正平17年(1362年)に都賀野行家が奈良の春日大社の分霊を迎えて祀り、寛文8年(1668年)の増改築時には四代将軍徳川家綱が拝殿を寄進したと言われます。惜しくも戦災で全焼し、昭和41年(1966年)に社殿を再建して今日に至っています。

平五郎稲荷神社


畑原通1丁目の閑静な住宅地に、L字型の参道に赤い鳥居が67基ほど並ぶ平五郎稲荷大明神があります。この鳥居は信者が奉納したもので、奉納者の名前が記されています。30メートルほど進むと百度石があり、さらに進んだところに信者が祀ったと思われるお稲荷さんが多数置かれています。昔、杣谷の字一かんや長峰の墓地に、平五郎という狐が住んでおり、お墓参りの時などに塚穴を覗くと狐が見えたそうです。こうしたことから狐を祀った稲荷祠もあります。

摩耶山天上寺


摩耶山頂にあり大化2年(646年)インドから渡来の高僧・法道仙人が開創。お釈迦さまが42歳の厄年に作られた十一面観音(水の守り仏で厄除開運、海上安全等の守り本尊)が祀られているほか、弘法大師が奉納した仏母摩耶夫人尊像があります。この像は女性の難病や苦しみを救う女尊で、特に安産と子育ての守護仏として信仰を集めています。また、俳句の寺としても知られ、与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句碑などがあります。

敏馬(みぬめ)神社


国道2号、阪神高速道路に面する敏馬神社の場所が神戸最古の港といわれています。神社は201年の創建と伝えられています。大化の改新(645年)の頃は「敏馬の泊まり」といわれ、万葉歌人を始め多くの歌人が遊び賑わうところで、万葉集にはこの地を詠んだ歌が11首もあります。柿本人麻呂の「珠藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の埼(みさき)に船近づきぬ」は有名で、境内に歌碑もあります。昭和初期まで白砂青松の景勝地でした。

龍泉寺(りゅうせんじ)


もともとは敏馬神社の神宮寺で、境内にありました。山号は敏馬山(みぬめざん)といい、永源寺末の臨済宗です。本尊は薬師如来。聖徳太子が開基したといわれています。明治元年の神仏分離令により寺は独立しましたが、当時は、ひどく寺勢が衰えていました。そこで、明治3年(1870年)、永源寺派の管長万松関老大師が見まわりに来て、弟子の雄峰が復興しました。境内には数多くの石仏が祀られています。

六甲八幡神社


平安時代後期、平清盛が福原遷都の時、京都石清水八幡宮を勧請して成瀬という旧地名を八幡(やはた)に改めたのが起源と言われます。樹齢400年をこす楠や黒松、銀杏の木などがあり、14世紀の「太平記」に、鎌倉軍の六波羅勢が八幡林を通り、摩耶山城の赤松円心を攻めたと記されています。現在の本殿は、天明6年(1786年)に奈良の春日大社旧社殿を移築した一間社春日造り。本殿右手の厄神宮本殿は県の重要文化財に指定されています。

若宮神社


別名「若宮八幡宮」と呼ばれ、江戸時代前期の延宝6年(1678年)創建の神社です。新在家は、新田開発により大石村から分かれた村で、江戸中期より酒造業が栄えた地域でした。神社所蔵の「若宮八幡宮縁起」によると、延宝6年(1678年)、里人花木正時が、海浜に流れくる八幡宮と秋葉権現のご真影を発見、領主松平氏にそのことを報告しました。領主は「八幡宮はわが尊敬する霊神なり」と浄地を選んで、今の場所に神殿を造営しました。阪神・淡路大震災で本殿が倒壊しましたが、平成12年(2000年)10月に再建されました。

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