最終更新日:2024年11月8日
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兵庫は自然・文化に富み、古くは平安時代、平清盛が都を福原京に遷都するなど、歴史の表舞台に何度も登場します。兵庫のまちには今でも多数の史跡などの名所が存在しています。兵庫区では、歩いて名所を訪ねる一つのツールとして、「兵庫区歴史さんぽ道シリーズ」を作成しています。一度リーフレットを手に取って、兵庫の地を歩いてみてはいかがでしょうか。
「ひょうご観光ボランティア」は兵庫区に来訪される方に向けて、下記コースの案内をしています。ボランティアガイドによる話を聞きながら、訪ねてみてはいかがでしょうか。
※コースや人数により、お受けできない場合があります。
申込書を下記申込先までお送りください。
ひょうご観光ボランティア事務局
電話番号:078-652-5515(平日のみ、9時から17時まで)
ファックス番号:078-652-5516
メールアドレス:hyogo.kanko.borantia@gmail.com
兵庫のまちは古くから港町として知られ、江戸時代には国内有数の港町として栄えました。
「兵庫津の道」はこのような歴史を持つ兵庫区の史跡を結ぶ道の愛称です。史跡を巡りながら、港町兵庫の歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
このコースでは、その中でも江戸時代に庶民の間でブームとなった七福神めぐりを紹介します。
A.兵庫津の道~兵庫七福神を訪ねて~(PDF:2,125KB)
大輪田泊と呼ばれた兵庫の港は、古代より天然の良港として栄え、平安末期には平清盛が日宋貿易の拠点とするため港を修築し、船の風よけ波よけのために、人工島・経ヶ島を築きました。大輪田泊の繁栄を偲びながら、清盛の足跡をたどります。
B.大輪田泊~清盛の日宋貿易の港を訪ねて~(PDF:2,259KB)
平安時代、平清盛が平安京からこの地に都を遷し、わずか半年ではありましたが、優雅な営みがもたれた福原京。福原京の中心地であったといわれるのが、兵庫区の平野地域を中心とする一帯です。平家一門の栄華を偲びながらその足跡をたどってみてはいかがでしょうか。
C.福原京~平家ゆかりの地を訪ねて~(PDF:2,190KB)
鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代にかけ、この兵庫の地は何度も戦場となり、特に有名な合戦が「湊川の戦い」です。この合戦では、後醍醐天皇方の武将として楠木正成が奮闘したといわれています。
このコースでは、後醍醐天皇方の武将として活躍した楠木正成やこの時代に関係する史跡を紹介します。
D.楠木正成と南北朝の争乱~兵達の足跡を訪ねて~(PDF:2,320KB)
江戸末期に外国艦船の来航に伴い沿岸を防備するため、勝海舟が設計に関わって、各所に砲台が建造されました。「和田岬砲台」のみが当時のままの面影を残しており、内部(1階のみ)見学が可能です。ぜひお越しください。
江戸時代に北前船の寄港地として栄えた兵庫津。船の難所であったため明治初期に兵庫運河建設計画が始まり、明治8年に新川運河、明治32年に兵庫運河が開通しました。この散策マップでは、明治中期以降、貨物の輸送に利用された兵庫運河と鉄道、このエリアで発展し神戸の発展に寄与した近代産業の軌跡をたどります。
F.近代兵庫~運河と鉄道を訪ねて~(PDF:2,761KB)
子どもたちが、自分の住む地域の歴史・文化などの魅力に気づくきっかけとなるように、より分かりやすく人物や史実などをまとめたリーフレットを作成しています。親子でリーフレットを手に兵庫区をさんぽしてみてはいかがでしょう。
※現在窓口での配布は行っておりません。
平清盛・大輪田泊を中心にまとめています。平清盛は、この兵庫の地で一体どんなことを考えていたのでしょうか。平清盛の残した足跡を歩いてみましょう。
大輪田泊~清盛の日宋貿易の港を訪ねて~(PDF:3,067KB)
牧野富太郎と近代土木遺産を中心にまとめています。牧野富太郎は植物が大好きで、兵庫区では植物の研究をする仕事をしていました。
リーフレットを手に兵庫区を探検してみよう。
植物学の父~牧野富太郎と湊川隧道~(PDF:7,246KB)
平家・福原京を中心にまとめています。福原京は兵庫区北部の平野地域を中心とするあたりといわれています。兵庫区にある清盛の史跡をめぐってみよう。
兵庫区の南部には、私たちの生活にとても身近な「もの」を作っている企業や工場がたくさんあります。どんなところがあるのかな。調べてみよう。