ホーム > 生涯学習 > 神戸市立図書館 > 神戸市立図書館トップページ > 神戸の郷土資料 > 本を通して神戸を知る > 神戸を知る 8時間労働発祥の地
最終更新日:2023年2月10日
ここから本文です。
労働基準法には、「労働者に、休憩時間を除き一日について8時間を超えて労働させてはならない」とあります。
8時間労働制の本格的な実施を日本に最初にもたらした労働争議が、大正8年(1919)秋に神戸の川崎造船所でおこりました。ハーバーランドの東川崎町1丁目に、「8時間労働発祥之地」という碑が建てられています。
大正8年(1919)9月半ばに、川崎造船所の本社工場の労働者たちは、賃上げや賞与支給などの労働条件の改善を求めた要求を会社側に出しました。しかし、これに対して当時の同社の社長松方幸次郎が、職工の中心的な要求に確定的な回答を与えなかったため、これを不満とした職工たちが同月18日からサボタージュ闘争をおこないました。このサボタージュ(怠業)という手段は、新聞記者・村島帰之が提唱したもので、彼はこの模様を手記に残しています。
争議はほぼ10日間続きましたが、松方が8時間労働制の採用と戦時の歩増分の本給繰り入れなどを提示したため9月27日に解決しました。10月より兵庫分工場、葺合分工場、ついで本社工場において8時間労働制が実施されました。
川崎争議は全国的に大きな反響を呼び、他の工場労働者が時間労働制を要求する動きが広がりました。この大正8年(1919)の争議で川崎造船所の労働者は成果を得て、その1年半後大正10年(1921)の三菱・川崎大争議へと突入しますが、完敗に終わります。
(写真は「8時間労働発祥の地の碑」)