-神戸ふるさと文庫だより-
第21号 1996年12月20日
編集・発行 神戸市立中央図書館
ウェストンと濃尾地震
「日本アルプスの父」と称される英国人宣教師W.ウェストンは、明治二十二年から二十八年まで神戸に住み、その間、富士山や槍ヶ岳などの山々に精力的に登った。
明治二十四年十月二十八日午前六時十五分、彼は自宅で激しい揺れに目を覚ました。柱や梁が軋み、直後、建物全体が前後に激しく揺れ始めたと言う。岐阜県を震源としてM八・〇を記録し、甚大な被害を残した濃尾地震である。数日後、彼は岐阜聖公会伝道師のA.F.チャペルとともに、仮小屋に寝起きしながら、被災地を巡回して救援活動を行った。目にしたのは、余震に怯える人々、地震後の火事で焼失した村、損壊した長良川の鉄橋などだった。彼は震源地にも赴き、断層や液状化の痕を観察し、地震の原因や規模、建物の耐震性について考察している。
神戸の外国人たちは、被災者のために義援金を集めたり、チャリティーの芝居興行を行った。ウェストンも、震災孤児たちのために、教会で多くの献金を集めている。百年前も今も、変わらぬあたたかい人の心がここにある。
新しく入った本
- 播磨文学紀行
橘川真一(神戸新聞総合出版センター)
著者は姫路文学館副館長をへて、現在は播磨学研究所所長。
本書は、司馬遼太郎の『播磨灘物語』など、播磨を描いた二十作品の舞台を歩き、播磨の文化雑誌「Bancul」に五年にわたり連載した文学紀行をまとめたもの。
『源氏物語』では、明石藩主松平忠国が創作した「源氏物語遺跡」なるものを訪ねつつ、物語をたどる。紫式部は明石を訪れたことがあるのかどうか、明石入道のモデルは誰なのかということにも話はおよぶ。
作家が描いた作品の世界は、活字の中だけでなく、現実の風土の中にも大きく存在するという、著者の思いが伝わってくる。この連載は現在も続いており、今後、どんな作品が登場するのか楽しみである。
- 女将の顔-時代を紡ぐ16人の女性たち
八木純子(ヒューマガジン)
女将とは旅館や料亭の女主人のことだが、本書では、女将を女の職業としてとらえる。裸一貫、一代で阪神間屈指の料亭を築いた女将。生まれた時から、女将となるべく帝王学で育てられた名門女将。その他、老舗や酒蔵、銭湯などを切り盛りする、関西の女将十六人が登場する。様々な女将の顔に、女将業とは奥が深く大変な職業だと感じる。
- 神戸発!『親バカ』奮戦記-『校門圧死事件』から『親の教育権』を求めて
神戸高塚高校事件を考える会(光陽出版社)
「神戸高塚高校事件を考える会」のメンバーは、六年前の事件を契機に、親が学校教育に参加する権利を主張して、兵庫県知事に対し裁判をおこしている。事件の当事者でもなく、今は在校生の親でもない「考える会」の活動、彼らを支援する弁護士や大学教授らの意見を記録した本書は、「親の教育権」をめぐる全国的なうねりを感じさせる。
- ひょうご・北近畿の温泉ガイド-手軽に行ける湯めぐりと観光
(神戸新聞総合出版センター)
兵庫県内のあらゆる温泉を、泉質や効能だけでなく、アクセスや宿泊、近辺の観光などをまじえて紹介している。
神戸市内では、鹿の子温泉・大沢温泉・五社温泉・有馬温泉・六甲保養荘・神戸クアハウス・天王温泉・湊山温泉・須磨温泉・名谷温泉・しあわせの村・太山寺温泉が紹介されている。神戸にこんなにたくさんの温泉があったのかと、驚くばかりだ。
このすべての温泉に入れば、温泉通になることうけあいだ。
- 夜の走者
軒上泊(中央公論社)
一九八三年十月、一台の車が兵庫埠頭から転落し、元井というフリーライターが死亡した。警察は事故死と断定したが、彼の恋人はこの死に疑惑を抱く。元井とその旧友冬木は、ともに幼くして親と別れ、施設から大学までを双子のように生きてきた。友の弔いのため、冬木は彼女とともに調査を始めた。
彼らの取材で、人工血液開発をめぐる、グリーン製薬の黒い秘密が次第に明らかになる。社長は戦時中七三一部隊で、実験データの捏造や人体実験を重ねていた。さらに従軍慰安婦問題をからませ、弄ばれ、運命を狂わされた人々の物語が綴られる。元井のタイトルだけの遺作『夜の走者』。"夜の走者"とは何者なのか、緊張の糸は結末までほぐれない。
- 天衣無縫の人生を生きる-南汎作品集
(神戸新聞総合出版センター)
陶芸家南汎さんの作品集。彼の作品は、神戸焼と名づけられた独自の焼物。そのベースにあるのが舞子焼。舞子焼とは、かつて、舞子の地で大正末まで焼かれていた陶器のこと。素朴だが風雅さのある舞子焼は、多くの茶人に愛された。この焼物を復活させたのは南さんだが、彼は、舞子焼に新しい趣向を加え、独創的な焼物を完成させた。これが神戸焼である。
- 句集 翌(あくるひ)
友岡子郷(ふらんす堂)
「倒・裂・破・崩・礫の街寒雀」
音も、視覚的にも鮮烈な一句で、五十九の震災句は始まる。震災直後から、やがて訪れる春までを、俳人の眼は季節移りかわりとともに、静かに見つめる。
句集は、一九九二年から四年間の四百句余りをおさめる。地震の前日、あんな惨禍が待ち受けるとは知らなかった。人には先のことは見えない。だからこそ、明日の夢に賭けたい。その思いを込めてこの題が選ばれた。
- 阪神・淡路大震災そのとき留学生は-神戸が好きになりました
鈴木正幸編(川島書店)
阪神間に住んでいた留学生たちにとって、震災は思いもよらないものだった。混乱の中を必死で生き延びてきた彼らの体験が綴られている。中国・韓国・台湾などアジアからの留学生が多い。"日本人は冷たい"との印象が、避難所生活やボランティア活動などをとおして変わったという。その時の感動が、これから先、裏切られることのないよう祈りたい。
留学生たちは、帰国してこの震災の体験と日本人の姿を伝えてくれる、貴重な存在でもある。
- 土木国家の思想-都市論の系譜
本間義人(日本経済評論社)
明治以降の日本における様々な都市計画を検証することにより、開発主体の行政のありかたに異議を唱える。
後半では、神戸市の都市経営についても論じられており、特に震災復興計画に対しては、厳しい批判が展開される。
著者は、九州大学大学院の教授。臨時行政改革審議会のメンバーもつとめる都市問題の専門家である。
- 1時25分,000 都市圏活断層図
建設省国土地理院(財団法人日本地図センター)
活断層の位置が詳細に記された地図(全四十五枚)が発行された。対象範囲は、首都圏および大都市とその周辺地域。複数の研究成果にもとづいて作製されていて、活断層はもちろん、地盤の状況などについても詳しい。
神戸市内を収録するのは、「神戸」「明石」「須磨」「大阪西北部」も四枚。ただし、北・西両区の一部の地域は、収録範囲からはずれている。
その他
- キラキラ悩む-時実新子の人生相談
MINE編集部編(講談社)
- 詩集秋山抄
安水稔和(編集工房ノア)
- 句集庭詰
後藤比奈夫(花神社)
- ANDO(アンドウ)-安藤忠雄・建築家の発想と仕事
松葉一清(講談社)
- 朝比奈隆-80代の軌跡1988~1996
木之下晃(音楽之友社)
- 私のウェストン追跡記-細部からその実像に迫る
田畑真一(山と溪谷社)
- 播磨国風土記-古代からのメッセージ
播磨学研究所編(神戸新聞総合出版センター)
- でもくらてぃあ
小田実(筑摩書房)
- 科学的によくわかる地震読本-阪神淡路大震災の記録
和田章(新風書房)
わが街再発見コーナー新着図書
灘図書館
山
- 空撮日本百名山 内田修[ほか](山と溪谷社)
- 京阪神から行くいで湯の山旅 友保深雪編著(七賢出版)
- 木と森の山旅-森林遊学のすすめ 西口親雄(八坂書房)
- 本のある山旅 大森久雄(山と溪谷社)
- 海外登山とトレッキング 敷島悦朗(山と溪谷社)
- 雲ノ平・双六岳を歩く 三宅岳(山と溪谷社)
カルチャー
- 異文化を「知る」ための方法 藤巻正己[ほか]編(古今書院)
- 異文化との接点で 時事通信社編(時事通信社)
- 対論日本を解読する 石川好・松本健一(五月書房)
ランダム・ウォークイン・コウベ 21
神戸七福神めぐり
このところ、駅などで「KOBE七福神めぐり」の広告を見かける。この「KOBE七福神めぐり」が発足したのは、今から十年前、神戸開港一二〇年目にあたる、昭和六十二年である。当時の雑誌には、「神戸の港に七福神の宝船が入港」と題する記事が載せられ、各社寺と七福神との関わりが記されている。
では、これが神戸の七福神めぐりの始まりかというと、そうでもない。昭和十年発行の『七福神』という小冊子をみると、その頃から七福神めぐり(当時は七福神詣と呼んでいた)が存在していたことがわかる。「開始十周年記念」と印刷されたこの冊子によると、「神戸七福神詣」は、大正十五年に神戸巡礼会の小原基弘居士によって始められた。その趣旨は「あくまで、信仰に立脚し、しかも気安く大衆に清浄な感銘をあたえる催し」であったという。
当時、神戸七福神奉賛会というものがあり、参拝は誰でもできるが、宝船の授与は奉賛会会員に限られた。会費十円の特別会員には組立式の宝船が、会費一円の普通会員には神札宝船(一枚もので、それを持って各拝所をまわると無料で御判を押してもらえる)が授与された。
また、当時の参拝所は、現在のものとはかなり異なっていた。
神戸七福神
|
昭和初期 |
現在 |
大黒天 |
七宮神社
兵庫区北宮内町 |
大龍寺
中央区再山 |
恵美須神 |
長田神社
林田区長田町 |
同左
長田区長田町 |
毘沙門天 |
勝福寺
須磨区大手町 |
湊川神社
中央区多聞通 |
弁財天 |
生田神社
神戸区下山手通 |
同左
中央区下山手通 |
布袋尊 |
三寶院
兵庫区西宮内町 |
天上寺
灘区摩耶山町 |
福禄寿 |
福徳寺
神戸区花隈町 |
須磨寺(福祥寺)
須磨区須磨寺町 |
寿老人 |
神宮奉賛会
兵庫区東山町 |
念仏寺
北区有馬町 |
昭和初めの七福神のうち、大手観音山の麓にある勝福寺の毘沙門天像は、昭和十三年の大水害で失われた。『神戸水害誌』には、六甲連山一帯の被害の大きさが載っており、勝福寺の本堂や、毘沙門堂の倒壊について記されている。
花隈城址北西にある福徳寺の福禄寿尊像は、昭和二十年の戦災で焼失。七宮神社も戦火を浴び、残ったのは手水石のみ。生田神社の弁財天像も戦火に遭い、御霊を安置したものを、戦後になって復興造営させたものである。
三寶院の布袋尊像と、神宮奉賛会の寿老人像のその後は不明であり、唯一現存しているのは、長田神社の恵美須神像のみである。
現在の七福神参拝所はよく知られた社寺が多いが、七福神参りのために、ここを参拝したことのある人は少ないかもしれない。大龍寺の大黒天像は、毘沙門天と弁財天の顔をあわせもつ、三面大黒というめずらしいものである。また、須磨寺の福禄寿尊像はつるつるした大きな額をなでることができる。新たな年を迎え、多くの福を授かるように、一度、七福神をめぐってみてはいかがだろうか。