KOBEの本棚 第55号

最終更新日:2023年7月27日

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-神戸ふるさと文庫だより-

  • 第55号 平成19年3月20日
  • 編集・発行 神戸市立中央図書館

内容


北野坂


三宮あじさい通

  • インフィオラータ(エッセイ)
  • 新しく入った本
  • 書庫探訪
  • ランダム・ウォーク・イン・コウベ

インフィオラータ

すっかり春の風物詩となったインフィオラータ(infiorata)。イタリア語で「花を敷き詰める」の言葉通り、地面に色とりどりの花びらを敷き詰めて絵を描きます。

神戸では平成9年に、震災で傷ついた街の復興を願って2会場で始まりました。球根栽培のために摘み取られたチューリップの花びらを利用し、会場が増えた今では毎年百数十万本分が使われます。愛と平和をテーマにしたものやポートタワーなど、様々なデザインがあります。

元来、インフィオラータはキリスト教の行事で、イタリアのジェンツァーノでは230年近くの伝統があります。アンデルセンの『即興詩人』にはその色鮮やかさと緻密さが描写され、「ポムペイにありといふ床(ゆか)にも、かく美しき色あるはあらじ」と称えられました。

平成16年にはジェンツァーノ市長が来神し、インフィオラータの原画が贈られました。以来、神戸市民がジェンツァーノで日本文化を紹介したり、イタリアチームが神戸のインフィオラータに参加したりと、交流が続いています。

新しく入った本

懐かし写真館-昭和の兵庫あの日、あの時

神戸新聞社編(神戸新聞総合出版センター)

本書は、神戸新聞連載の「ノスタルシアタァ昭和」「ノスタル爺の懐かし写真館」より抜粋、一部加筆修正したものである。

今はなき神戸タワー、聚楽館、市電などの写真が、元報道カメラマンとその孫、駆け出し記者の3人の会話という形で面白く説明され、懐かしく思い出す世代はもちろんのこと、当時を知らない世代も楽しめる内容となっている。

雪景色の余部鉄橋を煙をたなびかせて走るSLはとても絵になる構図だが、事前に依頼をすると機関士が指定の時間に煙を出してくれた、という撮影秘話ものどかな時代を感じさせて興味深い。

足立さんの古い革鞄

庄野至(編集工房ノア)

「足立さん」とは、神田生まれで神戸在住だった詩人・小説家の足立巻一氏(1913―1985)のこと。放送会社在職中に仕事を通じて知り合い「文章貯金」を勧められたのが、著者の今日の文筆活動につながった。

表題作のほか、「黒猫の棲んでいるホテル」「ドイツパンが好きだった父」「哈爾浜(ハルピン)」「村上さんからの手紙」の小説5編を収録。いずれの作品も、著者にとって大切な人たちを題材としたメモリアルである。

須磨百首かるた

須磨歴史倶楽部

須磨百首かるた万葉集にも登場し、後には在原行平や源氏物語などの影響も受け、閑寂をテーマに美しく歌われてきた須磨。このかるたは、そうした須磨の和歌ばかりを集め、大正14年に、山内任天堂から発売され、今回、須磨歴史倶楽部の手によって復刻されたものである。絵札の模様は須磨にちなんだ「青葉の笛と鎧」「須磨藻塩」など五種で、それぞれに趣がある。

「ありがとう」のゴルフ-感謝の気持ちで強くなる、壁をやぶる

古市忠夫(ゴルフダイジェスト社)

「ありがとう」のゴルフ「金銭を失うことはちいさなこと。信頼を失うのは大きなこと。しかし勇気を失うことは、すべてを失うことである」

阪神淡路大震災で家財も親友も失った著者の耳に飛び込んだ、ラジオのことば。被災とその後の多くの人々の優しさや思いやりがなければ、平成12年、還暦でのプロテスト合格はなかったという。

本書は『週刊ゴルフダイジェスト』に連載された「忙中カーン!」を加筆、再構成したもので、『ありがとう』と題して映画化されたことを機に刊行された。

感謝と勇気をお返ししたいというメッセージが溢れている。

神戸の古本力

林哲夫ほか編著(みずのわ出版)

神戸の古本力昨年、古本好きの3人が、書店のイベントとして「神戸の古本力トークショー」を開催。本を購入した時の喜びや店主とのやりとり、当時の心境などを熱く語りあった。それは、古き神戸の古書店の姿を浮かび上がらせると同時に、現役古書店へのエールでもある。

様々な人たちの古本エッセイやアンケート、古書店の地図とリストも掲載している。

兵庫県の難読地名がわかる本

神戸新聞総合出版センター編集・発行

神戸の「淡河(おうご)」や播磨の「和坂(かにがさか)」、但馬の「祢布(にょう)」…。本書は兵庫県下の読みにくい地名や駅名を集め、由来を紹介する。

難しい読み方の地名が誕生した背景には、それぞれの自然や歴史にまつわるエピソードが隠れていて、広大な地域を持つ兵庫県の謎に迫る、雑学事典とも言えるものになっている。

最近、様々なご当地検定がはやっているが、この本はさしずめ「兵庫県地名検定」。ぜひ、チャレンジしてみてはいかがだろう。

事例研究の革新的方法-阪神大震災被災高齢者の五年と高齢化社会の未来像

大谷順子(九州大学出版会)

事例研究の革新的方法震災で住まいを失い、仮設住宅、復興住宅で暮す被災高齢者への直接取材と、公的報告書やマスコミ報道の分析から、その実態に迫る。

震災を機ににわかにクローズアップされた「孤独死」だが、著者はマスコミ報道とそれに呼応した行政施策に疑問を投げかける。

日本初の質的分析ソフトを用いるなど、新しい分析手法を取り入れることにより従来欠けていた視点を補おうと試みた1冊。

道=MICHI-元町懐古写真集

三木久雄ほか(元町1番街商店街振興組合)

本書は、平成16年に130周年を迎えた元町商店街の催し「元町懐古写真展」をまとめたもの。

明治の開港で欧米文化が真っ先に流れ込んだ元町は、眼鏡屋や西洋雑貨屋など「神戸初の○○屋」が多く、電灯やアーケードも最先端をいっていた。老舗の創業時の看板を探したり、今は無き名店を懐かしんだりと、明治から現在までの様子が堪能できる。

ことばのとびら

都染直也(神戸新聞総合出版センター)

ことばのとびらグループ分けをする時に使う「ウラオモテ」。「ウーラーオーモーテ」と唄いながら手のひらをヒラヒラと動かすそれは、関西では神戸地域に特有のものらしい。

関西と他の地域の違いの他に、さらに細かく神戸・姫路など各々の地域の言葉や文化の特色を綴った本書。現地調査の結果をグロットグラム(地理年代言語図)に表わし分析するという、大学教授の著者ならではの専門的な裏づけを持つが、やわらかな文章で楽しく読める。

「てんやもん」を「出前の食べ物」以外の意味で使う地域。雨が「ピリピリ」降るという地域。地域性というものの面白さと奥深さが満載である。

その他の新刊

  • 神戸ぶらり下町グルメ 芝田真督(神戸新聞総合出版センター)
  • オニを迎え祭る人びと-民俗芸能とムラ 藤原喜美子(岩田書院)
  • 赤穂義士の引揚げ-元禄の凱旋 中央義士会監修(街と暮らし社)
  • 杉山平一詩集 杉山平一(思潮社)
  • 図説・「語りつぐ直良信夫」-明石原人の発見者 佐藤光俊編著(播磨学研究所)
  • 仰木彬パ・リーグ魂-命をかけてプロ野球を救った男 金村義明(世界文化社)

書庫探訪 その11

『滑稽有馬紀行』大根土成(おおねつちなり)1827年


合幕男女入込湯の図

文政10年(1827)に刊行された、木版墨摺3冊からなる滑稽本です。作者は京都の浮世絵師福智白瑛(ふくちはくえい・大根土成はその狂歌名)で、つまり本書は自作自画。軽妙な挿絵に目がひきこまれます。

京都と江戸の男が、有馬入湯をこころざし、連れだって旅に出ます。2人は伏見から淀川を下り、生瀬(なまぜ)を経て2日がかりで有馬へ。途中で道に迷ったり、温泉では深い湯壷に溺れかけたりという珍道中が、狂歌をまじえて描かれます。また、旅宿と入湯のシステム、湯治の世話する大湯女(おおゆな)・小湯女(こゆな)、逗留中の諸入用品、それらの費用が詳述されており、不案内者のための有馬湯治の手引書ともなっています。

浮かれ気分で軽口をたたきあい、湯よりも湯女が気になる2人ですが、地元の人々や同じ湯につかる客たちとのやりとりから、湯治場のいかにも別天地といった趣が感じられます。

『江戸温泉紀行』(平凡社)に、本書の翻刻が収録されています。

ランダム・ウォーク・イン・コウベ 55

王子公園辺り

菟原郡原田村、現在の王子公園のあたりに、南美以(みなみみい)神戸教会(現神戸栄光教会)の初代牧師、W・R・ランバスが、関西学院を創立したのは、明治22年のことです。校地の東隣には健御名方尊(たてみなかたのみこと)神社が鎮座し、社の木々を中心に「原田の森」と呼ばれる松林が広がっていました。

昼なお小暗い森と、田畑の広がるこの地に、神戸市街からは徒歩か人力車のほか通う手段はありません(そのためキャンパス内に寄宿舎や職員住宅がありました)。すでに明治7年には官営鉄道が阪神間を走っていましたが、学院は最寄り駅から遠く、通学に本格的に利用されるようになったのは大正6年の灘駅開業以降です。民間の鉄道では、明治38年に摂津電気鉄道(現阪神電気鉄道)が、43年に神戸電気鉄道(後の神戸市電)が開通して、通学の便が向上しました。

稲垣足穂は、大正3年に関西学院中学部に入学しました。彼は「神戸三重奏」の中で、阪神電車に乗り、入学願書を出しに行った際の様子を「山の方へ長い坂を登って行くと、右手に原田ノ森が迫ってきた」「長い坂道が上筒井の通りと交叉する所の左側にあった、『各学校御用達』の札が出ている裁縫店で、関西学院をたづねたのであるが(中略)彼女はすぐそこに見えているのが関西学院の正門で、反対方向にまっすぐ行くと市電熊内終点があると教えてくれた」と書いています。

明治37年に、関西学院はJ・P・ブランチらの資金協力により、念願の礼拝堂を建てました。初期英国風ゴシック・スタイルで、煉瓦造りの平屋建て。ブランチ・メモリアル・チャペルと名づけられました。

昭和4年、関西学院はチャペルを残して原田の森を去り、上ヶ原へ移転します。原田校地は阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に売却され、15年からは神戸市の所有となりました。そして昭和20年6月、神戸大空襲により、王子公園一帯も荒廃してしまいます。旧チャペルはこの時に、尖塔、屋根、内部を失いました。

戦争が終わってから5年、神戸で日本貿易産業博覧会(神戸博)が開催されることになりました。王子公園一帯は、会場と公園整備のために、大きく姿を変えることになります。王子神社に名前を改めていた健御名方尊神社は、神戸市の要請で王子町1丁目の代替地に移転しました。旧チャペルは屋根をつけて修理され、瀬戸内海観光館になり、瀬戸内海の風景を「動くパノラマ」で見せて、評判になったようです。また、インドゾウの摩耶子が連れて来られ、子どもたちの人気者になりました。博覧会終了後は、跡地の一部に王子動物園が造られて、昭和21年に閉園していた諏訪山動物園から、動物や獣舎が引っ越してきました。

次のめざましい変化は、昭和31年に訪れます。兵庫県で第11回国民体育大会が開かれ、王子公園は会場の一つになりました。陸上競技場、バレーボールコート、弓道場が新設されて王子公園スポーツセンターが完成しました。会場整備のために王子神社は再度移転、現在の原田通3丁目に落ち着きました。

関西学院の旧チャペルは神戸博後、市民文化教室に利用され、昭和37年、戦後から三宮にあった神戸アメリカ文化センターが移転してきました。同センターは洋書や海外情報が入手困難だった時代、市民の情報収集に貢献してきましたが、昭和42年に惜しまれながら閉鎖されます。その蔵書と備品類は、次に旧チャペルに開設された神戸市立図書館王子分館に譲渡されました。

平成元年、王子図書館は六甲道へ移転して灘図書館となり、旧チャペルは再び静かな時を迎えます。そして平成3年より、旧チャペルを戦災前の姿に戻す復元工事が開始されました。設計の原図が残っていないため、写真や卒業生らの話を参考に図面が引かれました。長い間なかった尖塔も戻り、旧チャペルは再びその美しい姿をあらわしました。そして王子市民ギャラリーとして市民に愛されましたが、昨年12月からは、神戸で活躍した作家を紹介する、神戸文学館として新たな一歩を踏み出しています。

明治から平成へと、大きく姿を変えてきた王子公園。めまぐるしい変遷にもかかわらず、この辺りを歩くと今も、鬱蒼とした原田の森の気配が漂っているようで、不思議と気分が落ち着いてきます。

お問い合わせ先

文化スポーツ局中央図書館総務課