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最終更新日:2023年7月27日
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-神戸ふるさと文庫だより-
舞子の濱より淡路嶋を望む(播州名所巡覧図絵)
舞子の浜は、白い砂浜と松林、そして淡路島の眺望が古くから愛されていました。江戸時代に刊行された『播州名所巡覧図絵』のなかにも、舞子の浜の茶屋から淡路島を眺めている図があります。
詩歌に詠まれ、また絵画にも描かれた雅な土地ですが、幕末には海岸防備の要所として砲台が設けられ、不穏な時代もありました。
有栖川宮の別邸(現舞子ビラの前身)や貿易商・呉錦堂の別荘の一部であった移情閣(現孫文記念館)が建てられた明治大正時代には、リゾート地として、料理旅館や別荘が海岸沿いに建ち並んでいたそうです。
現在の海岸沿いには、兵庫県の県立公園第一号として明治33年に開園した舞子公園や、白砂青松の景勝を復元した公園「アジュール舞子」が広がっており、天気のよい日には、芝生に寝転んだりボール遊びをする人々で賑わっています。
舞子の浜を取り巻く環境は、明石海峡大橋の開通など時代とともに大きく変わりましたが、そこから見える淡路島の眺めは、今も私たちの目を楽しませてくれます。
榎勇(彩流社)
但馬牛とは但馬地方原産の「黒毛和牛」のことである。ただし但馬牛と呼ばれるものは、種雄牛と繁殖用雌牛および子牛に限られ、買った子牛を各地で大きく育てて肉牛として売る場合には、神戸牛や松阪牛、近江牛などと呼ばれる。
細かいサシを特徴とする抜群の肉質のために、前述したようにさまざまなブランド牛の肥育素牛として子牛が出荷され、また種雄牛を通じて全国の黒毛和牛の改良に大きく貢献してきた。
詳細なデータをもとに、但馬牛の歴史や果たして来た役割を明らかにするとともに、現在直面している問題点や今後の課題にも言及している。
ポット(毎日コミュニケーションズ)
開港から百四十年あまりの神戸。港との深い関わりを通じて外国の文化を吸収し、独特のハイカラな空気を作り上げてきた。
本書では、輸入品・手作り品・スイーツなど、こだわりの一品を扱う、異国情緒あふれるお店を紹介している。本を片手に、心惹かれる小物を探してレトロな建物を巡り、疲れたらカフェで一息。そんな散歩が楽しめそうな一冊。
八木正宏(神戸新聞総合出版センター)
日本を代表する南氷洋捕鯨母船「圖南丸」は、昭和九年に購入されたノルウェーのアンタークチック号に最初に名づけられ、以後四隻がその名を冠した。本書は歴代圖南丸の記録と、四代目の圖南丸の船医だった著者の航海日誌(昭和三十八年神戸港から出港)を中心に構成されている。めずらしい捕鯨船上の様子や、著者自身による表紙を始めとするイラストに海風が感じられ、心が躍る。
神戸大学物語刊行委員会編(神戸学術事業会)
明治35年設立の神戸高等商業学校に端を発する神戸大学。名称を神戸大学とし、六甲台や鶴甲に多くの施設を集めるまでに、改称や他校の包摂、移転を重ねた。
本書は、複雑な歴史を持ち、「蛸足」のごとく一時は県下広域に散在していたこの学校にまつわるエピソードを紹介する。図版を多用し、読みやすさを重視した本文には、学内に残る歴史遺産や開学時の逸話とともに、平成2年のアメリカンフットボール部の活躍や、構内を日常的に徘徊するイノシシが取り上げられ、単なる大学史からは窺い知ることのできない具体的な風景が立ち上がってくる。
震災・まちのアーカイブ著・発行
「震災・まちのアーカイブ」は平成10年春に長田区で誕生した、阪神・淡路大震災の記憶と記録を考えるグループである。発足10年を迎え、これまで活動の結晶として発行してきた機関誌「瓦版なまず」を合本集成した。
背伸びせず手元にあるものだけでやりくりをしてきた小さな場所から、神戸の歴史、文化、土地の記憶が、小さな灯として発信されている。
稲垣足穂(青土社)
読者の手によって掘り起こされた、101編と参考作2編の作品集。そこには星や月、空へ憧れる足穂独特の世界が広がる。
「陸軍演習見物の記」と題する中学時代の小品の舞台、空髭(そらひげ)池周辺は現在の長田区と兵庫区の北側に広がっていた地域。こんな戦争を背景にした文章にもどこかしらハイカラな香りが漂っている。
初出誌の写真と詳細な解題が加えられ、読み応え充分。
宮道成彦(神戸新聞総合出版センター)
神戸の海に130種類もの生き物がいると言うと、驚かれるだろうか。国際的な貿易港のイメージがあるためか、著者が撮影していても、「何にもいないでしょ」とよく声をかけられるという。
そんな神戸の海を写真とエッセイで紹介する本書には、魚からカニ、ウミウシ、ヒトデ、さらには植物か動物か判別できないものまで、多種多様な生き物が登場する。
神戸空港周辺の藻場に暮らす魚、捨てられた空き缶に住みつく魚といった、都会の海を採り上げているのも特徴的だ。最終章の「いのちの海」では、厳しい環境の中で懸命に卵を守る親の姿や、繰り返される命の営みに胸を打たれる。
著者も潜ってみて驚いたという、神戸の海の魅力が、ぎゅっと詰まった一冊。
森川春乃
神戸のイメージは、ハイカラ・モダン、と茶の湯とは結びつきにくい。しかし、神戸は歴史のある街。海と山からは、四季を感じることができ、茶の湯を取り入れる要素をもった街である。
神戸で茶の湯がどのように伝わったのか、裏千家の茶を中心に紹介したのが本書。著者は、過去に触れることから、神戸の茶の湯の未来や神戸らしい茶の湯とはなにかが見えてくるのではと語る。
オットー・レファート 田中美津子訳・編(神戸日独協会)
著者は、明治38年、22歳のとき来神し、亡くなる99歳まで神戸に暮らした。居留地誕生からの外国人の生活、特にドイツ人にとって我が家のような存在であった社交団体「クラブ・コンコルディア」での交流が語られている。演劇でバレリーナに扮する男性の写真、クラブにロバ同伴で来てもいいか揉めた話など、彼らのふるき良き神戸に興味はつきない。ドイツ語原文併載。
神戸市大水害絵巻物の一部
『神戸市大水害絵巻物』は、今年で70年を迎える昭和13年の阪神大水害の被害状況を描いた絵巻物です。水害の直後より神戸市初等教育研究会図画部の教員23名によって描かれた被害状況のスケッチをもとに、作成されました。東は石屋川から西は千森川までの様子が描かれており、長さは4メートルを超える大きなものです。当館では、この絵巻物、スケッチともに所蔵しており、館内のデジタルアーカイブズでご覧いただくことができます。
東灘区から灘区にかけての国道43号線付近から南の海岸線までの一帯は、江戸時代から続く日本の酒造業の中心地です。一般に灘五郷と言われるもののうち、今津郷・西宮郷は西宮市内にありますが、魚崎郷・御影郷は東灘区に、西郷は灘区に位置しています。
江戸時代には木造の酒蔵が建ち並んでいましたが、明治時代にはレンガ積みの酒蔵が建てられ始めました。昭和30年代後半になると古い酒蔵は解体・撤去され、四季を通じた醸造が可能な鉄筋コンクリートの酒蔵が、主に経営規模の大きな蔵元から順次建てられていきました。
昭和40年代以降、実際の醸造は新しい鉄筋コンクリートの酒蔵で行い、残っていた古い酒蔵は倉庫などに使われていましたが、一部にはそれらを利用し、酒造資料館として公開されるものもありました。
震災が、数少なくなりつつあった古い酒蔵に与えた影響は甚大で、そのほとんどが姿を消してしまいました。またかろうじて震災を耐え抜いても、その後の復興・再開発等で姿を消してしまったものもあります。
震災後に補修された部分も含め、以前のままの姿を残すものは、市内では現在、櫻正宗(魚崎郷)の大門、白鶴酒造(御影郷)の前蔵、木村酒造(御影郷)の居宅・事務所・門、泉勇之介商店(御影郷)の大蔵・前蔵・居宅のわずか4ヶ所のみです。
大蔵は通常敷地の北側にあり、酒を発酵させ、またできあがった酒を保管する建物です。前蔵は大蔵の南側にあり、洗浄・浸漬・蒸しといった酒米の前処理をしたり、発酵が終わった酒を搾ったりする建物です。
明治15年創業の泉勇之介商店は、現在も木造の酒蔵で醸造を続けている灘五郷唯一の蔵元です。震災によって前蔵の屋根と大蔵の2階は被害を受けましたが、全壊には至りませんでした。通常断られることが多い醸造期間中の見学もここでは可能です。
白鶴酒造の「白鶴酒造資料館」は、昭和44年までは実際にそこで醸造していました。震災で大蔵は全壊してしまいましたが、前蔵は屋根が被害を受けただけで済みました。大蔵は内部が鉄筋コンクリート造ですが、外観を昔のままに再現し、現在も資料館として再公開しています。
櫻正宗は酒蔵や本宅へ通じていた門が残っています。酒蔵のあった場所に公開施設「櫻宴」を建て、その正門として使用しています。
木村酒造は酒蔵の南側にあった事務所と居宅が残っています。それらを公開施設「酒匠館」として使用しています。
以前の建物は残っていませんが、神戸酒心館(御影郷)では、岐阜県の酒蔵を移築して多目的ホールとして使用しています。また沢の鶴(西郷)は古い酒蔵を利用した「沢の鶴資料館」を公開していましたが、全壊した酒蔵の古材をできる限り再利用して建て直し、再公開しています。
古い酒蔵が徐々になくなっていくのは時代の流れであるかもしれませんが、今後もこれらの建物を後世に伝えていくことで古い伝統や文化を残し続けていってほしいものです。
また鉄筋コンクリートの酒蔵だけでなく、スーパー・荷物集配所・共同住宅集会所棟や駐輪場の外観・配色を古い酒蔵風にしたものもあり、街全体でかつての景観を残す努力が行われている地区もあります。
酒蔵が建ち並んでいたかつての風景を想像した後は、実際に見学施設などに行くのも良いでしょう。
かつて酒造地帯では醸造の最盛期である冬季には、あちこちからいい香りが漂っていました。現在でも大きな酒蔵の近くでは四季を問わずに香ってきます。水上勉の『越後つついし親不知』では灘酒の香りを「リンゴの芳香」としていますが、一般的にはデリシャスリンゴあるいはバナナのような香りが最上のものと言われています。
日本酒離れが叫ばれるようになって久しいですが、まだまだ人間の鋭敏な感覚を生かした手作りの酒造には、機械が太刀打ちできない部分も多く残っています。そしてその中には日本酒の歴史と蔵人の技術の粋が息づいているのです。