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最終更新日:2020年6月3日
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-神戸ふるさと文庫だより-
須磨浦公園・与謝蕪村の句碑
『ミラノ霧の風景』等の著書で多くのファンを持つイタリア文学者須賀敦子は、昭和4年武庫郡精道村(現在の芦屋市)に生まれ、夙川で育った。昨年3月、他界した直後に出版された『遠い朝の本たち』には著者の幼年・少女時代の思い出が、豊富な読書体験とともに綴られている。
この本の冒頭に「しげちゃんの昇天」と題する級友を偲んだ一節がある。当時岡本に住んでいたしげちゃんは、彼女が最も影響を受けた友人で、2人は本を通して友情を育んでゆく。自分の道を探しあぐね、本に逃避しがちな著者をまるごと肯定してくれたのもこの友人であった。
須賀敦子は「私のなかには、旅に出たいと、遠くの土地にあこがれつづけている漂泊ずきの私と、ずっと家にいて本を読んでれば満足という自分とが、せめぎあって同居しているらしい」と、当時を回想している。
昭和28年、自分なりの道を切りひらくため、単身で神戸から、欧州へ旅立ってゆく。須賀敦子、24歳の時のことである。
木村清弘著・刊
この本には神戸から淡路のだんじりが網羅されている。だんじりの構造や各部名称の説明、歴史等の基本的情報はもとより神社紹介、だんじり囃子の考証もある。
特筆すべきは写真と、調査データの詳細さである。豪華な幕飾りのカラー写真と各台ごとの写真。地区ごとに分け、製作年や大きさ、各部のデザインのほか、聞き取り調査により、各地域の歴史や逸話が紹介される。だんじりを切り口にした地域史ともいえる内容の濃さである。
巻末に宮本英希著『だんじり考』(平成9年)を合本したのは、読者により広く深く知ってほしいとの願いである。
弓倉恒男著・刊
かつてトアロードは居留地で働き、北野町で暮らしていた外国人たちの通勤路であった。
「TOR」の由来にはホテル説、英語説、ドイツ語説、漢字説、鳥居説など、諸説あるが、著者は当時の新聞、電話帳、観光案内などを手がかりに謎を解いた。
謎解きの過程からは、当時の神戸における外国人社会の様子がうかび上がってくる。ゆかりの建物が現存するという結びも、ドラマチックである。
森本隆男・矢倉伸太郎(森山書店)
灘五郷は全国ブランドの酒造地域である。しかし、清酒需要の減少、小売り形態の変化、価格・品質競争、杜氏の高齢化など、経営は厳しさを増している。
本書はアンケートをもとに酒造業の実態に迫った。震災も含めて社会情勢の変化に対応してきた経営の軌跡とともに、情報ネットワーク化といった緊急課題も的確に指摘されている。
村田幸子(悠々社)
著者は3度目のガンの発見と治療の末、自宅と夫の勤務先に近い灘区、六甲病院ホスピス病棟に入院する。この病棟で著者は医療スタッフ、家族、ボランティアに支えられて、残された日々を送りはじめる。
体調は一進一退という毎日。身の周りの整理を進めながらも、趣味のために外出をし、また夫との穏やかな時間を過ごす。思いにかなう生活を綴った文章は驚くほど明るい。巻末に夫による覚書きもあり、大学で知り合って以来37年という夫婦の愛と信頼の記録にもなっている。
NHK神戸放送局編(日本放送出版協会)
平成9年11月、NHK神戸放送局は、被災者1万人アンケートをおこなった。自宅の二重ローンにあえぐ人、復興住宅で孤独感を深める人、未知の土地で懸命に働く人。寄せられた回答からは震災の痛手から「人生の再建」を果たそうともがく人びとの姿がたちのぼってくる。
各々の「再建」を、社会がどこまでどのように手助けできるのか。本書の問いかけは重い。
柏木薫(ビレッジプレス)
著者は、神戸在住の小説家で、「久坂葉子研究会」を主宰。久坂は、その才能を高く評価され、19歳で芥川賞候補となったが、昭和27年、21歳で自ら命を絶った。その時自分はどんな青春を送っていたのか。これは、同年の著者の日記である。レストランで働き、映画、読書、喫茶店で過ごす日々。恋の苦悩。その中に、昭和27年の神戸の姿が鮮やかに蘇る。
東山魁夷(日本経済新聞社)
日本画の大家東山魁夷が昭和8年に留学したベルリンから、神戸の両親や弟に宛てた書簡集である。魁夷こと信吉は、友人に囲まれ学生生活を謳歌する一方、ヨーロッパ各地を訪ねるなど精力的に活動する。スケッチや当時の写真もちりばめられ、若き日の画家の姿が生き生きと伝わってくる。書面の随所には、遠く離れた家族への心づかいも伺え、ヒトラー台頭の時代の動きも見え隠れする。
画家が懐かしく思い起こす2年間のドイツ留学は、以後の画業においても意味をなすものだったにちがいない。
神戸十三仏霊場会編(朱鷺書房)
仏教の初7日から33回忌までの13回の供養には、その1回ごとに仏や菩薩が割り当てられている。また、自身の死後の法要をあらかじめ行なうためにも十三仏は信仰されている。この庶民信仰は、鎌倉時代末期から南北朝に始まったとされる。
この本では釈迦如来を祀る摩耶山天上寺、弥勒菩薩を祀る再度山大龍寺など、市内13の霊場が詳しく紹介されている。
松谷梅行(駸々堂出版サービスセンター)
芸術や文学など、何かにふれて得た感銘を丁寧に解きほぐしてもらうことは、時には快感である。本書は俳句の評論集であるが、俳句における「俳」と「詩」など、ともすれば哲学的で難解に感じがちな概念が、例に挙げた適切な句とともに平易なことばで解説されている。
著者は、長年神戸市に奉職し、定年で退職。自らの人生の断片と機微を俳句とともに綴る1編「失いしもの」も味わい深い。
坂茂(筑摩書房)
紙でどんな建物ができるのか。水は、火は、強度は大丈夫かと、多くの人が疑問に思う。紙の建築とは、紙の筒を構造材に用いた建築のことである。これは、紙は進化した木であると考える建築家の著者が、紙の建築をどのように実用化したかの記録であり、紙の建築を通じたボランティア活動の記録でもある。
阪神大震災では、コミュニティホール「紙の教会」や仮設住宅「紙のログハウス」などを作り、ルワンダでは、難民用のシェルターを開発する。著者の幅広い活動は、我々にボランティアのありかたについて多くの示唆を与えてくれる。
4級小型船舶操縦士免許の取り方(成美堂出版)
三宮図書館では3月24日よりコンピュータが導入され、「わが街再発見コーナー」を含む全蔵書が他の神戸市立図書館(コンピュータ導入館)から検索できるようになります。ご希望の図書があれば、各館の窓口でお申込みください。
また貸出券も、中央図書館他のコンピュータ導入館と共通になりますのでご注意ください。
なお須磨図書館も4月16日からコンピュータが導入されます。
春の須磨寺遊園地
かつて須磨の桜の名所のひとつに須磨寺遊園地がありました。須磨寺の横に2万平方メートルあまりの大きな池があり、池のそばには、料亭や茶店、動物園、花人形館、運動場には運動具を備え、池ではボートに乗って魚釣りができたというのですから、いかに大きな遊園地であったかが伺えます。
池のまわりには、たくさんの桜の木があり、花の咲く季節には、大勢の人でにぎわったらしく、「春宵池畔の電飾は池中に竜宮城の美観を出現し、艶麗なる夜桜これに映照するときは、人をして恍惚賛嘆せしむるものであった」といわれています。
この桜の木のはじまりは、須磨寺の境内にある「植桜記」という石碑に読むことができます。明治中期、須磨寺は著しく荒廃していました。当時新任した住職はあまりのさびれように、何をおいても大衆の足をこの境内に迎える工夫が急務であると考えました。そこで花樹を植えて境内に風趣を添えるよう努め、食事も用意するなどし、須磨寺は保養の地として人びとを集めるようになりました。
住職に賛同して桜の木を植えるのに尽力したのが、素封家神田兵右衛門です。兵右衛門は「作楽帳(さくらちょう)」という風流な寄附帳を作って友人らに寄付を募りました。2本以上の寄付は求めず、1人1本ずつ、千本の桜が集まったときには、その桜を人びとの「心の花」であると言って喜びました。石碑には、記念文とともに、「花ちもと(千本)むかし稚木(わかぎ)のさくら哉」という句が刻まれています。一目千本ともいわれた須磨寺の桜は、須磨を愛する人びとによるものでした。
明治末期には、沿線開発に力を入れていた兵電(山陽電鉄の前身)が、寺域の土地を借り受けて遊園地整備に着手しました。その後、大正から昭和30年代にかけて、遊園地は多くの花見の行楽客を集めました。その遊園地も今はなくなり、池は埋め立てられて、幾分か小さくなりました。ただ、池周辺に残る桜に往時の面影をしのぶのみとなりました。
現在須磨の桜の名所には、多井畑の奥須磨公園や、川沿いに続く桜のトンネルに人があふれる妙法寺川公園、そして海沿いの須磨浦公園などがあります。
須磨浦公園は、春になると山上からふもとまで、一面が桜におおわれます。広々とした園内には、いくつかの文学碑が建てられていますが、そのひとつに、与謝蕪村が須磨の浦を見ながら詠んだともいわれる「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」の句碑があります。柔らかい春の日差しに輝く海原を背にして、いかにも「のたり」とした感じのするひょうたん形の石碑の様子は、なんともおだやかで、まさに春の須磨浦らしい眺めという気がします。