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最終更新日:2020年6月3日
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-神戸ふるさと文庫だより-
舞子・移情閣と明石海峡大橋
水上勉の小説『櫻守』のモデルとして知られる笹部新太郎は、明治二十年、大阪堂島の資産家の息子に生まれた。彼は東京帝国大学法科に入学したものの、生涯の研究課題は日本人の心に最も長く根深い感銘を焼き付けてきた桜と定め、独学で研究を始めた人である。
笹部翁が五十歳で行った講演に「桜に送る弔辞」というのがある。それは、古代より日本文化に根づいている山桜よりも、手間のかからないソメイヨシノが多く植樹され、全国を席巻していくさまを憂えたものだった。翁はその後、昭和五十三年九十一歳で世を去るまで、「日本の桜は滅びる。何十年何百年と残っていく豊かで美しい桜を後世に残すには、手間を惜しまず慈しんで桜を育てなければならないのに」と嘆き続けた。
翁の桜に寄せる深い愛情を思うとき、我々は翁のメッセージを幾分かでも受け止められているだろうかと考えさせられる。
晩年居を構えた神戸市東灘区の住居跡は、地元の人々の尽力を経て現在桜守公園として残っている。
辻本嘉明(神戸新聞総合出版センター)
明治から大正、昭和の初期にかけて、神戸を舞台に経済の基盤を築いた二人の男の物語。
小さな小売店の店主であった川崎は、後に川崎造船所をつくり、造船王と呼ばれるまでの成功を治めた。一方の松方は、明治の元勲松方正義の三男として生まれた。後継者に恵まれなかった川崎は幸次郎を自身の後継者に指名する。性格も年齢も違った二人が、時代の波に乗り、ある時は、抗いながら、時代をつないでいく。
神戸の経済界においてはもとより文化、芸術においても二人の果たした役割は大きい。
久保村圭助・菅原操編著(山海堂)
明治期、わが国に導入された鉄道技術は、地震の少ない欧州からのものであった。だが、地震国日本で鉄道は幾度も被害を受け、その経験から耐震設計や防災技術を備えてきた。
本書は三十年前に出版された類書をもとに、鉄道土木の技術者がこの間の技術の進歩をまとめた。大震災を例に、なぜその箇所に被害が起きたか、今後どう防ぐかなど、丁寧に解説する。
西谷勝也(神戸新聞総合出版センター)
兵庫県は多様な自然に恵まれ、古くから豊富な伝説や民話を持つ地方であった。源平の戦いに代表される歴史的な伝説や、当時の庶民の願望や信仰の力が生み出した伝説などが、遊行僧(ゆぎょうそう)や歌比丘尼(うたびくに)などによって、形を変えて諸所に伝わり根づいている。
テレビなどメディアが発達した今また、身近にある伝説に目を向けてみるのも新鮮な驚きをもたらすのではないだろうか。
柴村羊五(亜紀書房)
著者は化学の専門家だが、嘉兵衛研究に情熱を燃やし、昭和五十三年に『北方の王者高田屋嘉兵衛』を刊行した。本書は、六十一年に没するまでに著者が収集した資料を加えた改訂版である。
江戸後期、廻船業者としては後発だった嘉兵衛が活路を見出したのは、未開拓の北海道東岸地域との交易だった。だが、北太平洋進出を進めるロシアと幕府の政策の狭間で事件に巻き込まれる。
ドラマチックな生涯で、ブームになった嘉兵衛。著者は、先行資料や文献に当たり、どんな社会情勢、時代背景の中を彼が生き抜いたのかを丁寧に追いかけている。
中内功(日本経済新聞社)
著者は大阪生まれの神戸育ち。昭和三十二年「主婦の店ダイエー」を創業。以後「よい品をどんどん安く」の理念のもと流通革命を押し進めてきた。誰でも、欲しいものが、自由に選んで買える。この当たり前を維持することが流通革命であるという。その原点には、戦地の体験や悲惨な戦争を遂行させた精神主義への反感がある。流通革命のためどう考え行動したかが、淡々とした筆致で語られている。
児玉淳(講談社)
児童向けに出版された漫画家水木しげるの伝記。妖怪の話を聞いて育った幼少時代。南方での従軍生活と素朴な現地の人との交流。神戸市兵庫区水木通りのアパートでの暮らし。売れない貧乏生活のなか、紙芝居、貸本漫画と、描きたい絵を描き続けていた。「ゲゲゲの鬼太郎」の大ヒットで一躍売れっ子作家になるまでの苦労と情熱を描いている。
藤木明子(神戸新聞総合出版センター)
一年三百六十五日の兵庫県下の祭りや行事、記念日や歴史的出来事、季節の動植物や暮らしの知識などを集め、一冊にまとめたもの。三月一日を開いてみると、篠山のマラソンや南淡町のうずしおまつり、東大寺二月堂のお水取りの行事がはじまり、渓流釣りが解禁になる事がわかる。三月の異称「弥生」は、草木がいよいよ生い茂るという意味で、「いやおい」という言葉からきていると解説されている。
自分の誕生日や記念日のページを見るのも楽しいが、通読していくと、変化にとむ日本の四季や日本人の四季折々の暮らしがあらためてみえてくる。
いせひでこ(偕成社)
少年は失った犬の代わりに父からチェロを与えられた。少年と同じチェロ教室にやってきた少女の演奏は、上手なのだが荒々しいものを含んでいた。ある日、阪神・淡路大震災支援のチェロコンサートに参加する人たちに出会い、二人も練習に加わってゆく。やがて少年は、少女が秘めていた想いを知る。
心の傷を抱えた子どもを描いた絵本。おだやかなストーリーと淡い水彩画が印象的である。
島京子(編集工房ノア)
著者は、神戸在住の小説家。本書には、一九七〇年代から最近までに新聞・雑誌に掲載されたエッセイを収録する。
食べ物の話から、猫、犬の鳴き声といった、ごく身近な話題はもとより、訪問先の外国から見えた日本文化の一面など、テーマは多岐にわたっている。
観念的ではない、暮らしに根ざした著者の思考が、短い文章の中にさらりと表現されている。
千葉潤之介(音楽之友社)
「春の海」の曲で知られる筝曲家の宮城道雄は明冶二十七年神戸の外国人居留地で生まれた。生後すぐ、眼病を患い八歳で失明した宮城は、当時盲人の主要な職業のひとつであった地歌、筝曲の道へ進むことになった。
本書は演奏家としてのすぐれた才能とともに、作曲家として、また楽器考案者としての八面六臂の活躍をした宮城の全貌を明らかにしている。
筝曲の作曲に洋楽の手法を取り入れたことは、生前から彼への評価を二分している。邦楽界における宮城の革新的な活動を高く評価した一冊である。
『王敬祥文書』より
中国革命の先覚者・孫文は、神戸とゆかりの深い人物です。一八九五年(明治二十八)の初来日から、一九二四年(大正十三)の最終来日までの間に、神戸を十八回も訪れています。
一八九五年に初めて日本にやってきたとき、孫文は二九歳でした。広州での武装蜂起に失敗し、日本経由でハワイへ亡命するためでした。香港から乗り込んだ「廣島丸」が最初に入港した港が神戸港でした。孫文が初めて足を踏み入れた日本の土地は、神戸であったことになります。
一九一一年(明治四十四)に辛亥革命が起こったとき、孫文はアメリカに滞在していました。神戸ではこのとき、革命を支持する「中華民国統一僑商連合会」が結成されます。会長には、王敬祥(おうけいしょう)が選ばれました。
王敬祥は、国民党神戸支部副支部長や中華革命党神戸大阪支部長に就任するなど、孫文の活動を神戸の地から支えた人物です。神戸華僑社会での信頼も篤く、神戸華僑同文学校副董長、中華会館理事長などを歴任したほか、横浜正金銀行神戸支店の買弁(ばいべん)も務めました。
一九一三年(大正二)に来神したときの孫文は、臨時大統領職を袁世凱(えんせいがい)に譲り、全国鉄道督弁の職にありました。それでも孫文の名声は高く、日中両国の国旗を持ち正装した財界の名士や華僑たちが、駅や沿道に押し寄せたといいます。
このときの国民党神戸支部長は呉錦堂(ごきんどう)でした。舞子にあった呉錦堂の別荘(現・孫中山記念館)で孫文たち一行は記念撮影を行っています。革命に重要な役割を果たした人びと・当時の華僑の有力者・日本の名士たちが写っていて貴重な写真となっています。
神戸市の主催する歓迎会も、兵庫湊町の常盤花壇で催されました。主賓・副賓には孫文以下、宮崎滔天(とうてん)・服部一三(兵庫県知事)・王敬祥・呉錦堂らがいました。主催者側には、鹿島房次郎(神戸市長)・松方幸次郎(神戸商業会議所会頭)・三上豊夷(三上合資会社長)らの名前があります。
同年の八月に来神したときの孫文は、再び亡命者となっていました。袁世凱の独裁化に反抗する第二革命に失敗したためです。孫文の亡命は日本政府にとって、袁政権との関係から、むずかしい問題でした。このため三上や松方は、孫文の乗る信濃丸に夜陰に乗じてボートを接近させ、川崎造船所の岸壁からひそかに上陸させます。上陸した孫文は、諏訪山の常盤花壇の山荘に匿われました。
孫文が最後に神戸にやってきたのは一九二四年(大正十三)です。このときの滞在中に兵庫県立高等女学校で行った講演が、有名な大アジア主義講演です。会場となった講堂には三〇〇〇人もの市民が殺到したといいます。孫文に同行した妻の宋慶齢も婦人問題についての短い講演をしました。
この神戸訪問が、孫文にとって最後の日本訪問となりました。翌一九二五年(大正一四)に孫文は帰らぬ人となってしまうからです。孫文にとって神戸は、最初に訪れた日本であり、最後に訪れた日本でもあったわけです。
神戸市立中央図書館では、『王敬祥関係文書目録』および『王敬祥文書』を所蔵しています。これは王敬祥の御令孫・王伯林氏から御寄贈いただいたものです。孫文にまつわる書簡・名刺・ビラなどが含まれていて、孫文と神戸華僑との当時の関係を知る上で、たいへん貴重な資料となっています。