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最終更新日:2023年7月27日
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-神戸ふるさと文庫だより-
神戸市立須磨海浜水族園
だれにでもやさしい公共のトイレを作る、それが昨年から神戸市が進めている「だれでもトイレタウン」計画です。ユニバーサルデザインの考え方のもと、車椅子の人、高齢者、幼児、妊婦さん、人工肛門や人工膀胱を持つ人(オストメイト)など、どんな人にとっても使いやすいトイレを増やしていくのが目的です。昨年、市がシンボルマークとアイデアを募集したところ、全国から700点以上もの応募があったそうです。日々の暮らしのなか、トイレの問題は切実なテーマであり、人々の関心の高さをうかがうことができます。
神戸市にはじめて公共トイレが設置されたのは、明治36年のことです。大正14年発行『神戸市衛生施設大観』(神戸市役所衛生課[編])によると、三宮神社横に設置されたトイレは水洗式だったとあります。一箇所のみとはいえ、当時、すでに水洗式の公共トイレがあったとは少々驚きです。
多くの人が住み、多くの人を迎える街神戸。神戸ならどこでも不自由な思いをせず安心!と言ってもらえる街づくりが、今進められています。
金治勉著 松元省平写真(神戸新聞総合出版センター)
『神戸雑学100選』の著者がガイドブックにはあまり載らない、神戸の「裏町」を案内してくれる。
普段よく歩く道の思いがけない歴史、道を1本隔てたところにある隠れた名所に驚く。また、戦後の新開地、昭和30年代の神大キャンパス、震災直後の東灘区など著者自身の思い出も重ねながら眺める「今」の神戸は興味深い。各コースの距離や所要時間も書いてあり、休日に歩いてみたくなる。
藤井昭三(友月書房)
著者は西区神出(かんで)の出身、現在も神出に暮らす。神出の神話、歴史、自然、民俗、伝記など広範な内容を「むかし物語」として、1冊にまとめあげる力、そして何より郷土・神出への愛情の深さに心をうたれる。難解な箇所も、平易な言葉で書かれているため、するすると頭に入ってくる。昔懐かしく、優しい色彩の表紙絵も魅力的。子どもから大人まで、神出について楽しく学ぶことのできる本である。
中村よお(幻堂出版)
震災直後から連載された「追憶神戸ストリート」「もう一度神戸で逢いたい」(雲遊天下)「街角通信kobe」(朝日新聞)に「その後のこと」を書き加え、連載時の挿絵もすべて収録した本。
過ぎ去ってしまったはずの70年代の「熱い時間」があった震災直後の神戸。消えてしまったもの変わってしまったものは、たくさんあるが、街で出会った素敵な人やお店、魅力的な音楽などあらたな出会いも多い。著者にとって、日々の街歩きは旅であり、大きく変わった街の中でもつづいていく。
震災・街・音楽について綴られた神戸への愛情あふれる1冊。
ビジュアルブックス編集委員会編 佐藤光俊写真(神戸新聞総合出版センター)
地元に語り継がれてきた伝説の舞台を訪れ、写真とともに紹介した1冊。神戸では、2人の男性に思いをよせられた娘の悲劇的な結末を語った「処女塚と二つの求女塚」や、弓の名手「那須与一」の伝説、また、あまり知られていない「油屋の黒猫」の話などが収録されている。現代の風景の中に見落とされそうに建つ祠や石碑にまつわる昔の人々の思いには、それぞれに味わいがある。
中西研二(東京文献センター)
大正時代から昭和初期に開業した関西地方の3つのケーブルカー。東信貴ケーブル、高野山ケーブル、六甲ケーブル。本書は、その建設に携わった技術者中西龍吉の残した写真を中心に、息子である著者が解説を加えまとめたもの。
記念写真的なものだけでなく、大勢の人間がロープを引っ張り、車両を山上駅へ引き上げている写真など、当時の人力での作業の様子を伝える写真が満載。
高岡美知子(日経BP社)
昭和2年、悪化する日米関係の修復を望む市民の手によってアメリカから日本に親善人形が贈られ、その答礼に58体の華麗な日本人形がアメリカに渡った。残念ながらその後、多くの青い目の人形が戦火にまきこまれたが、日本の人形たちはどうなったのだろう。
本書は答礼人形「ミス徳島」との出会いをきっかけに、何年もかけて人形たちを追った著者のルポルタージュである。人形に関った人々の様々な思いや、長い年月に人形それぞれに起きたたくさんの物語が緻密に描かれている。表紙の人形は、神戸出身の著者が里帰りに尽力した「ミス兵庫」である。
神戸市芸術文化会議三十周年誌編集部会編(神戸芸術文化会議)
総合文化団体の「神戸芸術文化会議」が設立30周年を記念して発行したもの。
会員の記憶に残っている神戸らしいエピソードが「ひと」「みなと」「山」「まち」「できごと」などのテーマごとにまとめられている。
新開地の聚楽館や神戸大空襲の思い出、神戸ゆかりの人物の話など、いずれも興味深く歴史の表舞台とは違った身近な神戸を感じさせてくれる1冊。
木山蕃(空鯉工房)
阪神淡路大震災から、九年が過ぎた。
この歌集は『大震一年』に続き、震災後の平成8年から16年2月までに詠んだ短歌と復興しつつある神戸を写したスナップをまとめたもの。歌は震災関係だけでなく、社会や日常も詠まれており、自称「歌詠みカメラマン」の眼による震災の続報となっている。
安水稔和(編集工房ノア)
著者が敬愛する「神戸の詩人さん」竹中郁に関する本書は、第一部「詩人論」、第二部「講演」、第三部「対談」により構成されている。
今年は竹中郁の没後22年、生誕100年に当たる。これよりさかのぼること半世紀、著者が詩の同人誌を出していた学生の頃、仲間内で竹中郁を「詩人さん」と呼んでいた。
代表的な詩やその解釈を読む事により、また竹中郁のプライベートな言動やエピソードを知る事によって、読者には「光の詩人、竹中郁の姿がますます明らかになり、詩人のことばがしっかり届く」ことであろう。
重厚な装丁と、凝った用箋・・・。一見、宗教書か博物誌と見紛うような本書は、南蛮美術品の蒐集で知られる池長孟の私蔵品図録です。
昭和の初め、池長孟は長崎版画に魅せられて南蛮美術に傾倒し、その生涯を通じて蒐集した品は約4500点。内容は長崎系画人の版画・肉筆画、江戸時代の洋画、南蛮屏風、工芸品など、多岐にわたります。本書は初期の蒐集品から、現在重要文化財に指定されている『泰西王侯騎馬図』や狩野内膳の『南蛮屏風』など、200点あまりを厳選して収録し、池長孟自身による解説が添えられています。独創的な解説文からは、彼の信条である「蒐集は、ひとつの創作である」の言葉通り、南蛮美術に対する情熱が感じられます。
池長コレクションの大半は、戦争を経て神戸市へ委譲され、現在は神戸市立博物館に所蔵されています。
水族館へは誰しも一度は行ったことがあるでしょう。では、水族館は一体いつからあるのでしょうか。
国内では、1882年(明治15年)日本最初の動物園、東京上野動物園の付属水族館が開館します。独立したレンガ造りの建物の看板には「観魚室(うをのぞき)」と書かれていました。
神戸では、1890年兵庫共済株式会社が「和楽園」という遊園地を和田岬に開設しました。和田岬は旧湊川の流れが運んだ土砂からできた岬です。
江戸時代、俳人蕪村が隣松院(和田神社境内)に門人たちを集めて句会を催していたことが文献に見えます。須磨と並ぶ景勝地和田岬は人々の行楽の場となっていました。
その5年後、日清戦争勝利の好景気を反映して第4回内国勧業博覧会が開催されました。和楽園は神戸会場となり、兵庫水族室と水族放養池が作られましたが、「室」の名のとおり小規模な施設だったようです。
1897年、国が主催する第2回水産博覧会も和楽園で実施されました。会期は9月から11月末までの3ヶ月。メインパビリオンは水族館でした。建物は、堂々とした木造洋館で、展示水槽のほか円形プールやジオラマもあり、大変な人気を博しました。設計指導には飯島魁、飼育管理には藤田経信があたり、海水の循環濾過装置の確立という実績を残しました。飯島は東京大学教授で動物学の権威でしたが、自ら現場で漆喰作業をするほどの熱の入れようでした。
藤田は飯島の愛弟子のひとりで、後に水産学の大家となります。
短期間の存在でしたが、近代的水族館の出発点といわれています。
和田岬水族館は会期後、一旦取り壊されて神戸市へ移管。湊川神社の境内へ移築再建され、兵庫共済株式会社の経営により、1902年以降「楠公さんの水族館」として親しまれました。閉鎖後、建物は転売されて1910年、活動写真館「帝国館」として新開地に開館し、賑わいに華を添えました。
1930年、神戸沖大観艦式を記念して海港博覧会を兵庫突堤で開催。第2会場の湊川公園には水族館が設けられました。神戸新聞では、初日の様子を、「呼び物の水族館では評判の海女が早くも巧みな潜水技術をみせ、あっと言はせた他珍魚の数々、海洋、水産の出品も変わらぬ人気」と書いています。
『神戸市史』によると、水族館は1943年まで存続とあります。
須磨水族館(1957-1985年)は、地方自治体が創立し直営する、わが国初の本格的な独立の水族館でした。須磨の地が選ばれたのは、神戸の中心が次第に東へ移り、レクリエーション施設も東に偏在する傾向を是正しようとの考えからでした。翌年には博物館相当施設の文部省指定を受け、市内小中学校の児童生徒に対する「水族館科学教室」を開始、来館者用には、講堂と集会室を設け「楽しくてためになる」施設としての姿勢を明確に打ち出しました。また、飼育水族の自家採集や両生類の飼育を充実させ、学会で研究成果の発表も行っています。機関誌『うみと水ぞく』の創刊(1960-1967年)、デンキウナギの放電実験のような「実験水槽」を積極的に取り入れたことなども注目を集めました。
「和楽園」模型(須磨海浜水族園所蔵)
現在の「須磨海浜水族園」は、1987年神戸開港120年を記念して開園しました。
なぜ「水族園」なのか。『うみと水ぞく』復刊初号(1990年)をあけてみますと、その疑問に答える熱い思いがあふれています。「館」から「公園」へ、広がりの中で観客が見たいものを自由に選択できるように。都会の中で市民が生きものの息吹と出会い、憩いを感ずることのできる施設であるように。映像では体感できない「水族の生きざま」を全体に貫くテーマにしたい、と。
その思いは今、水族園を訪れる人々に確実に伝わっています。
『水族館』鈴木克美 法政大学出版局(ものと人間の文化史113)